ピンポーン、と普段、滅多にならないインターホンが鳴った。
誰が来たのかは、気配でわかった。
「開いてるから入っていいよ、清人」
事務所の扉が開いて、清人が顔を覗かせた。
「いつもはインターホン押さないのに、どうしたの? てか、傷は大丈夫なの?」
事件直後は目を覚まさず、その後も回復室で療養していたと聞いている。
清人が気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「失血し過ぎたせいで貧血だったのよ。刺され所が悪かったみたいでさぁ。格好悪い姿、見せちゃったなぁ」
ははっと笑う清人に気が付いて、枉津日神が顔を上げた。
「清人! 清人か! 怪我は良いのか? 生きておるのか?」
飛び出して抱き付くと、清人の顔をペタペタ触る。
身を引きながらも、清人が枉津日神をまじまじと眺めた。
「生きてますよぉ。へぇ、顕現すると、こんな顔なんだねぇ。あの日は直桜だったからなぁ」
「吾が直桜の姿だったから、庇ってくれたのだったな」
「そういうわけでも、ないけどねぇ」
眉を下げる枉津日神の背中に清人が腕を回す。
護に促されて、清人がソファに腰掛けた。
「お初にお目に掛かります、直日神様。枉津日神の惟神を受け継ぐ藤埜家が次男、清人と申します」
清人の口から出たとは思えない真面目な挨拶に、直桜と護は身を震わせた。
「ほぅ、準備をしてきおったか。藤埜の家は、枉津日神を迎える準備があると?」
直日神が清人に向かい、微笑む。
清人が半笑いで息を吐いた。
「集落の五人組筆頭・
隣で清人を眺めていた直日神が、直桜を振り返った。「彼の名は何といったか?」 直日神の問いに、護と清人が呆気に取られている。「藤埜清人だよ。いい加減、俺と護以外の名前も覚えようよ」「ああ、今、覚えた。清人、だな。悪くない魂だ。気に入った」 直日神が護を振り向く。「護、枉津日神を直桜から剥がしてやれ。その後、吾が少しだけ手伝うてやる」「え? 今ですか? この場でやるんですか?」 護の焦りまくった問いかけに、直日神が事も無げに頷いた。「恐れずともよい。双方、整っておろうて」 直日神が立ち上がり、清人の前に立つ。 額に指をあてて、その目を見据えた。「怖いのなんのと泣き言を零しても、心は決まっておる。枉津日神を慈しむ心は揺れぬ。|己《うぬ》は充分に惟神の器よ。自信を持て、清人」「……はい。えっと、初めてなので、痛くしないでください、ね……」 直日神を見上げる清人は固まったまま、動けないでいる。「直桜」「わかった」 直日神の声を合図に、直桜は自分の腹に両手を翳した。 太い糸のような光が直桜の腹から枉津日神に繋がる。「護、これを右手で切って」「わかりました……」 緊張した面持ちで立ち上がった護が、右手を手刀のようにして太い糸を断ち切った。 解き放たれた枉津日神の体が震える。離れそうになる枉津日神の手を清人の手が握り引き寄せた。 その様を直日神が
ピンポーン、と普段、滅多にならないインターホンが鳴った。 誰が来たのかは、気配でわかった。「開いてるから入っていいよ、清人」 事務所の扉が開いて、清人が顔を覗かせた。「いつもはインターホン押さないのに、どうしたの? てか、傷は大丈夫なの?」 事件直後は目を覚まさず、その後も回復室で療養していたと聞いている。 清人が気恥ずかしそうに頭を掻いた。「失血し過ぎたせいで貧血だったのよ。刺され所が悪かったみたいでさぁ。格好悪い姿、見せちゃったなぁ」 ははっと笑う清人に気が付いて、枉津日神が顔を上げた。「清人! 清人か! 怪我は良いのか? 生きておるのか?」 飛び出して抱き付くと、清人の顔をペタペタ触る。 身を引きながらも、清人が枉津日神をまじまじと眺めた。「生きてますよぉ。へぇ、顕現すると、こんな顔なんだねぇ。あの日は直桜だったからなぁ」「吾が直桜の姿だったから、庇ってくれたのだったな」「そういうわけでも、ないけどねぇ」 眉を下げる枉津日神の背中に清人が腕を回す。 護に促されて、清人がソファに腰掛けた。「お初にお目に掛かります、直日神様。枉津日神の惟神を受け継ぐ藤埜家が次男、清人と申します」 清人の口から出たとは思えない真面目な挨拶に、直桜と護は身を震わせた。「ほぅ、準備をしてきおったか。藤埜の家は、枉津日神を迎える準備があると?」 直日神が清人に向かい、微笑む。 清人が半笑いで息を吐いた。「集落の五人組筆頭・
禍津日神の神降ろし事件から数日が経った。 枉津日神の真名の封印こそできなかったが、荒魂にされた土地神は解放され、反魂儀呪のリーダーと巫子様を引き摺りだし正体を明らかにすることには成功した。13課としては、ギリギリの成果といえる。 しかし、八張槐にとってはこの流れも恐らく予測の範疇で、計画の一部に過ぎないのだろうと考えると、直桜としては複雑な心境だった。 枉津日神は惟神を得れば、真名を戻し荒魂に堕ちることは、ほとんどない。裏を返せば惟神が必須の神だ。 現在は直桜に降りているものの、この先どうするかを考えなければならなかった。 本日は『枉津日神の身の振りを考える』という名目で、誰も来ない事務所に酒を広げ、顕現した神々と四人、正確には二柱と二人で酒を酌み交わしていた。「吾は直桜の中に枉津日がおっても良いがな。二人で酒を交わせるのは、楽しい」 表裏の神だけあって、直日神は嬉しそうだ。 時々、口喧嘩はするものの、直桜としても二柱の神を抱える状況に不満はない。 目下の問題は、枉津日神だった。「清人に会いたい。会いたいぞ、直桜ぉ」 酒が入ると、清人の名を叫びながら泣く。 直日神は面白がって放置するから、いつも護が介抱している。 今日も例に洩れず、隣で護が背中を摩っている。「約束したであろう、護。吾は約束通り、直桜を返したぞ」 枉津日神が振り返り、護をじっとりとねめつける。 護がビクリと肩を震わせた。「いや、あの、それは、そうですが。もう少し待って……」「せめて、せめて、会わせよ。清人に会わせよ」 枉津日神が護の胸倉を掴んでブンブン振り回す。 護が、されるが
洞窟の中はすっかり伽藍洞になっていた。 直日神の浄化は荒魂にされた神々に留まらず、洞窟の中一帯を清めていた。そのどさくさに紛れて、槐を始めとする反魂儀呪は撤退したようだった。 禍津日神が生み出した雨雲はすっかり消えて雨も上がっていた。レーダーで観測できない線状降水帯が発生したと一時、世間で話題になったが、それは後の話だ。 槐の重圧術で負傷した術者はいたものの、死者は出なかった。むしろ一番の大怪我を負ったのは清人だった。 禍津日神はといえば、枉津日神の姿でまだ直桜の元に留まっていた。「まぁ、吾が怒ったら真名がでちゃう、みたいなものじゃなぁ。穢れた荒魂で無理に煽られたりせねば、そのままじゃよ」 直桜の中から現れた枉津日神は、さすが直日神と表裏というだけあって、どことなく似ている。「無理に真名を封じる必要もないか。惟神を得れば暴走の危険はないしの。それでお主は直桜の中に留まるのか? 直桜なら二柱を降ろすことも出来ようが」 梛木の問いかけに、枉津日神はいまだ目を覚まさない清人に視線を向けた。「吾は藤埜の人間が好きじゃ。だが、吾が降りれば負担をかけようなぁ」 枉津日神の横顔を、直桜はぼんやりと眺めていた。 惟神は、神が人を選ぶ。一つの家系を選んで代々引き継ぐのが定石だ。神がその血筋を好むのだ。「俺はどっちでもいいよ。けど、枉津日は清人が好きだよね」 枉津日神とはまだ魂まで繋がっていない神降ろしの状態だ。それでも、枉津日神の感情は伝わってくる。「吾のことなど知らぬくせに、刃から庇ってくれた。これからは吾が清人を守ってやりたいのぅ」「でも、清人さんは私たちのように御稚児修行を受けていませんし、危険じゃないで
祭壇に立った楓が何かの呪文を唱えているように見える。 その姿を護は禍津日神と見上げていた。「直桜が目覚め始めた。準備は良いな」 禍津日神を振り返り、頷く。 護の表情を見て取ると、手を天に向かい掲げた。「なれば最後は派手にいこうかの。雷鳴は武御雷神《たけみかずちのかみ》直伝の直桜の十八番じゃ」 禍津日神の掌に雷が生まれる。一直線に空に昇った雷鳴が広がる雲を刺激する。雲間に雷の筋が何本も走った。轟音と共に雷が激しくなる。 どくん、と禍津日神の体が波打った。「荒魂が吾の中で暴れておるわ。この感覚は、久しいの。血が沸くわ」 禍津日神の目が護に向く。 右の手に力を込めて、禍津日神に向かい構えた。 洞窟の上を覆っていた雲は、あっという間に大きくなり、流れていった。 本土を優に覆い尽くすであろう巨大な重い雲から雨が降り出す。「このままでは大雨の水害でこの国が沈もうなぁ、どうする、鬼」「止めます。この場で、直桜と直日神を返していただきます」「やってみよ」 同時に地面を蹴って、正面から突っ込む。 真っ直ぐに腹を狙いに行った護の右手は思い切り弾かれた。左手で禍津日神の右腕を摑まえる。強く引いても、体はピクリとも動かない。そのまま、また腹を狙うが、左手で弾かれた。 腕を解いて飛び退き、距離を取る。 まるで直桜とやり合っているような錯覚を覚えた。(練習ですら対峙したことはないから、直桜の戦い方を知らない。素手でいかないと、意味がない。が、ここは武器を使うか) 悩む護に、禍津日神が小さく首を振った。 周囲を見回すと、囲んでいた13課の別動隊が動き出している。護と禍
梛木と禍津日神が会話を始め、清人に絡み始めた辺りから、槐と楓はすっかり傍観に徹していた。「興覚めだね。思っていたよりずっと穏やかな神様だ。期待外れだな」 楓の不満そうな呟きに、槐が小さく笑みを零した。「こんなもんだよ、神様なんて。基本はお人好しの集まりだからね」 楓が不満そうに見上げる。その視線を、槐は困った顔で流した。「結局、兄さんは禍津日神をどうしたいの? 俺たちの味方にはなってくれそうにないけど」「今はね、まだ無理だよ。今回は、枉津日神の惟神の